ロスト・オン・ユー

一次創作blog

番犬4年目のクリスマス


(あれからもう4年ー・・・か。早えな)
12月中旬。冷たい風が吹き荒ぶ中、辺りは近日に控えたクリスマスに備え眩く彩られている。
そのムードに誘われてか、寒さの為か、日曜の街中に散らばるカップル達はいつもより密着し、浮かれ立っている様子が窺えた。
彼らに若干の鬱陶しさを感じながらも、自分もそんな時があっただろ、と自らを宥める。
片手に大きな紙袋を携え、高越麗は人混みを掻き分けながらアスファルトを颯爽と歩み進んでいった。
世間でイベントが繰り返される度に、過ぎた月日の流れを嫌でも認識する。それが当初麗にとても強い苛立をもたらしていた。
だが、流石に最近慣れてきた。

4年前のあの日ー・・・。全てが崩れ去り、麗はとても大切にしていた物を宿敵に奪われた。
職場、仲間、そして忠誠を誓った主人。自身もまた深傷を負い、生死の狭間を彷徨った。今でも死ななかったのは奇跡としか思えない程重篤だったのである。
(俺は・・・生かされたんだと思う。役目のために)
麗が時間の経過に苛立っているのは、決して私情の為だけでは無かった。
(紫川さん・・・大丈夫かな)
紫川薫。命を捧げると誓った紛れもない自分の主人。自分の元からは居なくなってしまったが、彼は今もちゃんと存命している。
そう、とある狭い塀の中で。
(譲さんも・・・一応元気なんだけどさ)
そして夕崎譲。彼の存在こそが、麗の苛立ちの原因である。まあ、色んな意味で。

ごちゃごちゃと思想を巡らせている間に、麗の足は小汚いラーメン屋の前で止まった。
大きく豪快な筆で、『絶品味噌ラーメン なんちゃっ亭』と書かれた看板が出入り口の扉の上に掲げられている。店外の壁に貼り付けられたメニュー表には、大雑把だが薬味や具が沢山乗っているラーメンの写真が貼り付けられていて、いかにも昼時の腹を空かせたサラリーマン達を惹きつけそうだ。本日の開店は11時30分からの為、今は扉が閉まって人気が無い。
紺色のネクタイをビシッと締め、27歳という年齢に削ぐわない高価なチェスターコートを着こなす細身の青年には、全く似つかわしく無い・・・が、ここは一応麗の現在の職場の一つである。
「ふー」
気持ちを切り替え深く息を吐くと、麗は店内に入る為扉に手をかけた。その時ー・・・。
「じゃあ、譲君仕事頑張って」
耳に飛び込んできた聞き慣れない中年男性の声に、彼の手がぴたりと静止した。
理由はただ一つ。麗にとっての重要人物の名を慣れ親しく呼んだからだ。
「はい!浅野さんもこれから出勤なのにありがとうございました」
若くハキハキと答える声の主ー・・・。そう、苛立ちの原因。
麗が声がした方を向くと、すぐそこに夕崎譲本人が居た。30代後半の見知らぬスーツ姿の男と並んで。
今年彼は24歳になるが、大きな目と童顔は相変わらずだ。明るめのダウンジャケットを着た私服姿は、小柄な体型も相まって高校生に紛れても誰1人気づかないだろう。10代にも劣らない綺麗な肌と整った可愛らしい顔立ちも健在だ。寒さから赤く染まった頬がなおそれらを際立たせている。
手を挙げて会釈すると、浅野と呼ばれた男は目前の点滅する青信号の横断歩道を足速に駆け、譲の前から去っていった。
パッと見でも優しげで清潔感のある印象を抱かせる男である。身なりもきちんとしていて、社会ではそれなりの地位を預けられているだろう。背もそこそこ高く、きっと周りの女性は放っておかない。
しばらく去りゆく浅野に目を向けていたが、譲は麗の存在に気付くとすかさず声をかけた。
「あ、麗さん。お疲れ様!」
「・・・・・・お疲れ様です」
いつもと変わらぬ調子の譲に対し、麗はあからさまに不機嫌そうに返事を返した。事実、今しがた目にした光景は不快だった。
だがそれにいちいち気づく様な人間なら、麗も苦労はしていないのだ。譲が反応したのは彼の手の中にある紙袋だった。
「わざわざありがとう!昨日いきなり壊れちゃってさー。すぐに用意してくれて助かるよー」
「いや。そろそろ観に来ようかと思っていたんで」
はしゃぐ譲を前になおも麗はぶっきらぼうに答えた。
紙袋の中身は厨房の壊れたレンジの替えである。麗は本日それを届けにきたのだ。
「でも俺達で買いに行っても良かったのに。忙しいでしょ?」
「ダメです。あなた達に任せたらノリで不相応な物とか買いそうですから。絶対いらないのに大層なオーブン機能が付いてたり」
「ぎくり」
「なんか目星つけてたな。ったく。従業員がこうだと経営者も重荷だよ」
「頼りにしてまーす」
お惚けた調子の譲と、憎まれ口を叩く麗。いつもの様に戯れ合う彼らは側から見ればとても仲が良さそうだ。実際、2人の間には誰にも侵し難い強い絆があった。
事実上はラーメン屋の経営者と、そこで働く従業員の関係だが、そう簡単に説明できるほど単純な内容ではない。
「・・・今のは誰ですか?」
しかし麗はレンジの事などよりも、先ほどの男について追求する事で頭が一杯だった。話が一旦途切れると、すぐさま質問を投げかけた。
「お店の常連の浅野さん。すぐそこの会社で働いてるの。最近仲良くなって。今も近くのイタリアンで朝ご飯ご馳走になったんだ」
ずっと気になってたお店でね、おいしかったよー。と食事の味を思い出して満足そうにニコニコしている譲はいつも通りだ。
「ふぅ・・ん」
(憂鬱な休日出勤の直前に野郎と会うかあ?普通)
ちら、と浅野の去った方に目をやると、遠ざかる彼の背中がまだ見えた。途端、麗は胸中で強く毒づく。
(ちっ)
出勤を強制されているにも関わらず、オフィスへと向かうその活気づいた後ろ姿が、気持ちの浮かれ具合を物語っている。上機嫌の理由は、無論、目の前にいる一見無害そうな小柄な男の存在だろう。
(っ・・・たく。勘弁してくれよ)
「?」
眉間に皺を寄せる麗の心中を全く察する事無く、譲は彼の顔を怪訝そうに覗き込んだ。
彼は未だ気付いていない。例えその気の無い同性でも、知らず知らず相手を虜にしてしまう程の魅力を持ち合わせている事を。
そしてかつて麗もその魅力におおいに翻弄され、見事玉砕した人間の1人である。
(忘れたとは言わせねーぞ)
「いだだだだっなにっ麗さんっ」
麗は苛立ちを発散すべく、革の手袋をはめた手で赤くなった譲の左頬を容赦無く抓りあげた。
「・・・あっ、もしかして浮気したとか疑ってる??違う、違う、潔白ですよお〜!」
譲はようやく麗の思う所に気づいたようで、手を振りながら慌てて否定し始めた。
「へー。どうかなー。もしや朝帰りだったりして」
「朝・・っナイナイ、絶対無いってばっ!!」
もしそれが本当ならば、番犬の身としては許すまじき裏切りである。
ちなみに何を番しているかと言えば、檻の中に閉じ込められている我が主人、紫川薫の恋人である夕崎譲の不貞行為だ。
しかし本当に強い絆で結ばれているのはその2人だという事を、麗はよく知っていた。
だから苛立つのである。彼らがどんなに触れ合いたくて、でも出来なくて、その瞬間を待ち侘びて身を焦がしているかを想像して。
そしてー・・・
「?」
譲の頬を抓っていた手を急に緩めると、麗は更に赤くなった頬をその手で優しく包んだ。
痛みに潤んだ瞳で、譲はそんな麗を不思議そうに見返した。
麗は一瞬でその手を離すと、何事もなかったかの様に再度なんちゃっ亭の扉に手をかけた。

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「譲さん、あなたは働かなくても良いんですよ。一部は潰さざるを得なかったが、残った店や資産でもあなた1人なら十分養える。紫川さんからも是非そうしろと言われたでしょう」
薫が居なくなってすぐに、麗は変わらずになんちゃっ亭で働き続ける譲にそう声をかけた。
本来の経営者である薫の立ち上げた事業は、様々な要因によって縮小を余儀なくされた。しかしそれでも愛人に快適な暮らしを提供する程の経済力は依然として持ち合わせている。ほぼ全ての資産管理を任されている麗は、この先の事も隈なく勘定をした上で冷静に提案していた。
「そんなの嫌だよ!俺1人遊んで暮らしてるなんて・・・。薫はあの中で一生懸命やってるのに」
誰もが泣いて喜ぶような生活を前にして、それを即答で拒む譲の姿に、麗は溜息をつくしかなかった。
「それに、なんちゃっ亭の仕事だって、薫が俺に任せてくれた仕事だし・・・。働いてるの楽しいし」
任せたと言うより、激化する抗争から遠ざけ、譲を敵から隠す為に、目眩しに一時的に薫が彼に寄越した仕事だ。まさかこんなによく馴染むとは麗も予想外だったが、譲はラーメン屋の従業員をプライドを持ってこなしている。決して楽な作業でも無い、まして細い体に似つかわしくない飲食店での肉体労働なのに、大したもんだと麗は素直に称賛した。
「迷惑・・かな?」
譲は表情を歪ませながら、大きな瞳で伺うように麗の顔を上目遣いで見つめてきた。
手際よく仕事をする今の姿からは想像できないが、出会った当初、譲の所作は壊滅的だった。むしろ任されたその場を破壊し兼ねない程の無能っぷりであり、やる気とは裏腹に全てが裏目にでる自分を譲が恥じていた事を麗は思い出した。その際周りから罵られた記憶が未だ譲を自己卑下させている。
しかしそのカリスマ性で幾人もの穀潰しを育て上げてきた薫の見事な手解きにより、コツを掴んだ譲は、今では周りが見習いたいと思う程素晴らしい成長を遂げた。仕事を与えられ、一人前に働く。普通に思えるそれらの事が、譲は嬉しくて仕方がないのだ。それも理由があったとは言え、想い合う相手から託されたものを、彼はとても大切にしていた。
譲は左手の薬指にはめられたシルバーのリングを反対の手の指でぎゅっと掴んだ。譲は幼い子供がやる癖のように、不安になるとよくそうした。
そしてそのリングもかつて、薫が彼に与えたものだった。
「いいえ。今のあなたは良くやっていますよ。・・・出会った頃はもう本当に酷くて・・・」
「あははー」
麗の言葉に安堵し、譲に笑顔が戻った。
「まあ・・・別に止めはしませんが。キツくなったらいくらでも減らして構いませんよ」
「うん!ありがとう!でも絶対大丈夫だよ」
曇りの無い太陽のような笑顔で譲は答えた。それに麗の固い表情も幾分か綻んだ。
胸に光を差しむような譲の笑顔が、麗はとても好きだった。
「それに、敢えて働かなくっても、あなたは既に重要な役目を果たしているでしょう」
ボソリと呟いた麗の言葉は、譲には届かなかった。
「え?なんか言った??」
聞き返す譲に、口には出さずとも、胸の内で真摯な思いを告げた。
(紫川さんを信じて寄り添い続ける事ー・・・。それがあの人にとってどれだけの励みになるか。俺達残された人間達にとって、それ以上あなたに望むものなんかありません)

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店内の厨房でレンジを設置する店長と、それを手伝う譲を眺めながら、麗は思いに耽った。
流れゆく月日の中で、それでも譲はあの頃のままだった。
変わらず薫を想い続け、信じている。
薫も、会うごとに彼の状況を聞き出し、身を案じ、健やかに過ごせるように幾度も麗に指示を出してくる。例え直接何かできなくてもとても大切にしているのがよく伝わってきた。
尊敬する主人に早く戻ってきて欲しい。そして2人が結ばれ、幸せになる姿を早く見せて欲しい。
安心したい、安心させたい。
しかし、麗の焦燥感や苛立ちの理由はそれだけではなかった。
「さっすが麗さん!ぴったりだし超使いやすいよ!」
自分に向けられる屈託の無い笑顔。それから逃げるように麗は背を向けた。
「じゃ、しばらく壊さないでくださいよ」
そう告げると同時に麗は扉を開けると颯爽と店外へと出た。
「「はーい」」
閉めた扉の中から譲と店長の元気な声が返ってくる。

何故こんなにも苛立つのか。しかしそれは自分が一番よく知っていた。
(早く、早く)
振り払おうと目を閉じても、譲の笑顔は光となって瞼の裏に浮かんでくる。
(幸せの傍観者にさせてほしい)

麗は来た時よりも早い歩調でなんちゃっ亭を後にした。

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ガラガラと音を立ててなんちゃっ亭の扉が開く。その音に即反応して、譲がすかさず会釈をした。
「いらしゃーい・・あ、浅野さん!」
「よっす」
休日出勤の直前に朝食を食べに行ってから、まだ2日しかたっていなかった。浅野は平日の21時、ラーメンと譲目当てに姿を現した。
店内は既に落ち着いてきて、客もまばらだ。2人は周りを気にせず親しげに言葉を交わした。
「どうも〜!!お疲れっす!!今日も炒飯粥つけますか??」
店長も、いつもの気さくさで陽気に浅野に声をかける。浅野はかなりの常連客で、従業員全員が彼の好むメニューを熟知していた。
「いや・・・今日は餃子とビールにしてくれるかな。飲みたい気分なんだ」
「あいよ〜!!」
譲に案内された席につくなり、浅野は小声でニコニコと語りかけた。
「譲君、こないだ話したあの企画、うまく通りそうだよ」
「え、本当ですか!?おめでとうございます!」
譲は大きく反応して素直に喜んだ。企画とは、浅野が長年胸の中で温めていた案であり、先日上司に提出したものだ。
どうせ相手にされないと半ば諦めていたものを、譲の後押しがあって今回やっと形にできたのだ。
「ほんと、譲君のおかげだよ。出してよかった」
「いやいや、だって本当にすごく良い内容だったから・・・。もったいないと思って」
謙遜する譲に、浅野は目を細めて微笑みかけた。
「いや・・・。君のおかげだ。譲君ならきっと応援してくれると思ったから、内容を話せたんだ。ありがとう」
実直な言葉に、譲はえへへと顔を赤らめて照れて見せた。その表情に浅野は更に目を細めた。
「今度また、どこか食べに行かないか。遠くへ遊びに行ってもいいし」
「はい、是非!」
ビールを取りに厨房に向かう譲の後ろ姿を、神聖なものを見るように浅野は眺めた。

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「ご馳走さま」
「「アザーーーす」」
浅野の会釈に反応し、店内に従業員の元気な声が響いた。
会計を終えると浅野はレジの中に居る譲に再び声をかけた。
「じゃ、譲君、また連絡するから」
「はい、ありがとうございました!」
このまま別れるのが名残惜しいとでも言うように、会話が途切れた後の数秒、浅野はその場を離れず譲の顔を見つめていた。
彼が店を出ようとしたその時、落ち着きなく店内で動き回っていた5〜6歳の少年がすぐそばの机に思い切りぶつかった。弾みで母親の食べいたラーメンのどんぶりが浅野の体めがけてひっくり返る。
「「あっ!!」」
防ぐ間もなくバシャア・・とラーメンが浅野の服を豪快に汚した。
一瞬の出来事に店内が凍りつく。母親も顔面蒼白で硬直した。
手に抱えていたコートは難を免れたものの、ジャケットとシャツはスープに塗れてベタベタである。
「大丈夫ですか!?火傷とかは・・・っ」
慌てて駆け寄る譲を落ち着かせる為、浅野は酔っている様を敢えて強調し、ヘラヘラと答えた。
「いーや、もう冷めてたから。匂いがすごいだけで。おしぼりくれる?」
なんでも無いと言った様に手を軽く振って見せる浅野。本当に火傷はしていなかった。
「わああああん」
むしろ大事になっているのは、彼に盆をひっくり返した小さな犯人、そしてその母親だ。
「すみませんすみません、洋服代出しますんで」
「いや・・・」
少年は大泣きし、母親の方も泣きそうな顔になりながら、おしぼりを浅野の体へ当てて平謝りをしている。
「浅野さんっ、このママさんシングルマザーでいつも遅くまで働いてる人で・・・」
譲は慌てて浅野の耳元で告げた。
「わかってるって。ちょうど自分でクリーニング出すところだったんだ。絶対金は受け取らないよ」
相変わらずヘラヘラとした調子で答え、自分が気分を損ねていない事を浅野は強調した。
彼の気遣いにより、ざわついた店内はすぐに落ち着きを取り戻した。男の子と母親を宥める声が辺りから繰り返し聞こえ、むしろ和やかな雰囲気になった。
「とりあえず裏に来て下さい、拭かないと」
そう言うと譲は従業員が使う休憩室へ浅野を招き入れた。

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「うわーべっとり・・・クリーニングでなんとかなるレベルじゃないかも?」
譲はブツブツと言いながら、汚れた浅野のワイシャツとジャケットを拭いていた。
「・・・・・・」
浅野は休憩室の椅子に腰掛け、渡されたおしぼりを握りしめたまま固まっていた。
服を脱がされ上半身裸になった上、狭い空間に譲と2人きりだ。頬が先ほどより上気しているのは、酔いが深まったからではない。
「あ、寒いですよね?まだどこか濡れてます?」
「っ」
浅野が体を腕で隠す様を見て、譲がすかさず近寄ってくる。温められた新しいおしぼりを手に取ると、譲は浅野の露わになった体を拭き始めた。
「じ、自分で拭くから」
「でも背中の方まで濡れてますよ」
浅野の動揺に気付かず、譲は体の汚れを確認しながら手を動かした。
これまでに無い譲との急接近に、浅野の頬が更に赤く染まり、紳士的な振る舞いを続けていた彼の理性が崩れ始める。ごくりと生唾を飲み込むと、浅野は目前に居る譲の背中に腕を回そうと、そろりと手を伸ばした。
その時・・・
「・・・これは一体どういう事ですか」
休憩室の入り口で、麗が腕を組み仁王立ちになりながら2人を見下ろしていた。
「っ」
突然の来客に、伸ばしていた腕を瞬時に引っ込める浅野。しかし麗の目はそれを見逃さなかった。
「麗さん!?どうしてここに!?」
「急に思い立って食いに来たんですよ。その前に帳簿を確認しようと思って・・・」
言いながら、麗はキッと浅野の顔を思い切り睨みつけた。
「っ」
そのあまりの鋭さに、浅野は強くたじろいだ。
一方の譲は彼の来訪を喜んでいるようだった。
「ちょうどよかった!もうウニクロとかやってなかったっけ。やってたら服買ってきて欲しかったんだけど・・・」
「こんな時間にやってるわけないじゃないですか」
不機嫌さを滲み出しながら喧嘩腰に答える麗。
「あのねー」
しかし構わず譲は事情を説明し始める。

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「なるほど。それはご迷惑をおかけしました」
腕を組みながら譲の説明を聞いていた麗が、ようやくその腕を解くと、浅野の方へ向いて会釈をした。
「っ」
先ほどの射抜くような視線を思い出し、またもや浅野はたじろぐが、麗の瞳からは敵意の様相が消え、冷静さが取り戻されていた。
「申し遅れました。なんちゃっ亭の経営者、高越です」
なんの感情も含めず、浅野に対し淡々と自己紹介をする麗。
「ええっ!?君が?」
麗は一見するとラーメン屋の経営者というより、お堅い企業で働くバリバリのホワイトカラーだ。そして浅野を驚かせたのが、彼がとにかく若かった事だ。浅野より一回り程年少だろう。
「まあ・・・仮経営者みたいなものですが」
意味ありげに麗は付け足した。
「他にも色々仮経営させられてるんだよね(笑)」
譲も面白がって麗の言葉に重ねた。
「まだそんな若いのに・・・」
雇われるだけで精一杯の自分にとっては、多重経営など無縁の話である。浅野は目の前の細身の若者に瞠目した。
「よろしければご自宅までお送りします。今日は運よく車で来たので」
「えっ」
麗の突然の提案に浅野は困惑した表情を浮かべた。
「本当?わーありがとう、助かるー!浅野さん、麗さんに送ってもらって下さい」
浅野は店の大事な常連客である。譲は麗の好意に素直に甘える事を彼に勧めた。
「え・・でも」
少しばかり気が引けるが、確かに今の状況を考えればそれが一番都合が良いかもしれないと浅野は思った。
「どうぞ。風邪をひかないうちに」
麗が休憩室の扉を開けて浅野を招く。譲も後を押すように浅野の背中に軽く手を触れた。
「じゃ、じゃあお願いします・・・」
ここで引き下がるのも却って申し訳ないと、浅野は麗に送迎を託す事にした。
しかしその時麗の瞳がギラリと光った事を誰も気づかなかった。

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「暖房強めますね」
2人が車に乗り込んですぐに、麗は車のエンジンをかけエアコンを調節した。
「あの・・・ありがとう。悪いね」
麗の気遣いに後部座席の浅野がすかさず礼を告げる。コートを羽織っているとは言え、この真冬に上半身裸では流石に寒い。
「いいえ。当然のことです」
準備が整うと、麗はすぐさま車は発進させた。
浅野はフロントミラー越しに礼の顔を見た。いくつもの会社を経営しているだけあってか、とても賢そうな顔つきをしている。しかし仕事上不便は無いのかと浅野が疑うほど、その表情は冷たく、麗からは話しがけ辛い雰囲気が滲み出ていた。
譲は気さくに話しかけていたのだがー・・・。
「・・・あの」
「はい」
どうしても解せぬ事があると、浅野は疑問を解決すべく麗に声をかけた。
「君・・・譲君より年上だよね?」
「はい」
「・・・上司っつーか一番偉い人だよね?」
譲のタメ口と、麗の畏まった態度は側から見れば違和感だらけだろう。浅野の疑問は自然なものだった。
「いいえ。実は訳あって立場は彼の方が上なんです。話すとややこしいのであんまり突っ込まないで下さい」
バッサリと断ち切るような物言いで麗が答えた。事実話せるような事など何も無い。
「ふ、ふーん・・・」
硬く閉じた貝のような、威圧感すら感じさせる麗に、浅野も口を閉じた。しかし謎は深まるばかりだ。加えて譲に関する事ならとても興味がある。内心追及したくてうずうずしていた。
「譲さんとは最近親しくされているようで」
むしろ色々聞きてえのはこっちだ、と麗は浅野への詮索を開始した。
「え?あ、うん。お店に通ううちに仲良くなってさ。なんていうか・・・彼、一緒にいるとすごく癒されるんだよね」
浅野は嘘偽り無い譲への印象を吐露した。
「そうですかあ?どっちかっていうと鈍臭くていつも参ってるんですけど」
麗は賛同するのも腹立たしく思え、とりあえずいつもの憎まれ口を叩く。
「そういうとこも含めて純粋じゃん。今時中々居ないよね、ああいう子」
しかし譲に心酔している浅野には、もはや彼の良い面しか思い浮かばないのだろう。
「まあ・・・そう言われればそうかもしれませんが」
(知った口聞きやがって)
彼のその性格が、どれだけ周りに影響し、変化をもたらしたか。お前なんかより俺の方がよっぽど分かっている。麗は今にも口から飛び出てきそうな言葉をグッと堪えた。
「彼、すごく良い社員だよ。店長も、変わってるけど気さくで面白くてラーメンもうまいし。社員の質は会社の質だよなあ」
「ありがとうございます」
嫌味の無い浅野の賞賛の言葉にも、麗は興味無さそうに短く礼を述べた。
「本当だよ。俺はあのラーメン屋に救われたんだ」
「へえ・・」
麗の乾いた態度に、社交辞令だと思われたな、と浅野は胸の中でぼやいた。しかし構わず彼は続けた。
「俺の会社、結構キツイところでさ。側から見ると綺麗なオフィスで給料もそこそこ良くて、見栄えはいいんだけど。とにかくノルマノルマ、ノルマのゴリ押し。達成できなきゃ給料泥棒呼ばわりされるし、達成しても仕事が雑だとか、客からは言ってることと違うとかクレーム入るし。鬱で医者から抗うつ剤もらうくらいだった」
(はいはい)
サラリーマンは大変ですね〜と麗は胸の中で軽く流した。命を捧げる思いで組織に尽くし今の地位を掴んだ麗にとって、ノルマなんだのという話は生ぬるくて今にも欠伸が出そうになる程だ。
「もう限界だっ・・て時、夜中にたまたまあのラーメン屋に入ったら譲君がいて」
浅野は初めて譲と出会った日の事を思い出して目を閉じた。
「俺さ、悪いけどちっちゃいラーメン屋バカにしてたんだ。こんなの学が無くても出来るし、飯出してるだけじゃんって。でも」
酒が入っているとはいえ、かなりストレートな物言いだ。だが自分の考えを隠さない浅野の態度は却って清々しさをも感じさせる。
「譲君の接客って、本当真心籠ってて、それがすごく伝わってきたんだよね。一生懸命だし、良い笑顔するし」
口元をほころばせながら、浅野は包み隠す事なく譲への賞賛を口にした。
「その時思ったんだ。給料良くて安定して見栄えが良くても、働いてて一度も自然な笑顔が出たことが無い・・・こんな俺のやってる仕事ってなんなんだろうって」
「・・・・・・」
「で、辛気臭い顔でラーメン食ってたら、心配されて、年上なのに逆に相談乗ってもらって」
浅野は苦笑しながら自分の身の上に起きた出来事を出会ったばかりの麗に聞かせた。
「・・・・・・」
プライド、固定観念、経歴、実績・・・ずっと身を粉にして働いてきた30代後半の男性が、今まで培ってきたものを振り返り、冷静に考え直す事というのは簡単では無い。ましてや年下のラーメン屋の定員の所作がきっかけだったなどと、普通ならば絶対に言わない、いや認める事すら出来ないだろう。
麗は渋々ながら、彼の器に一定の評価をせざるを得なかった。
「それも、こんなおっさんの話真剣に聞いてくれてさ・・・」
しみじみとその時の事を思い出すように、浅野は流れゆく車外の景色を眺めていた。
「今のままでもっと出来る事探すか、自分がピッタリくる仕事を探すか、どっちが良いのか・・・迷ってたら、いや、どっちもやれば良いんじゃないのって言ってくれて」
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『ここから応援してますから!』

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浅野は街中に飾り付けられた輝くイルミネーションの中から、まるで自分の事のように真剣な面持ちで彼に向き合う譲の顔を見出した。
「あれはグッと来たなあ・・・」
ミラー越しに見える浅野の恍惚とした表情から、譲への深い想いを容易に感じ取れた。
「っつ〜ことで今日もなんとか生きながらえてえる感じ」
「そうでしたか」
急に恥ずかくなったのか、今までの話をはぐらかすように浅野はまたヘラヘラと酔った調子に戻りパタパタと手を振った。
(ふん)
麗は自分の中に言いようのない焦りが生じた事を感じ、それを否定するかのようにハンドルを握る手にぎゅっと力を入れた。
「話を聞いてくれた礼に食事に誘ってから、譲君とはちょくちょく出かけるようになって。彼結構世間知らずだから、何教えても「へー浅野さんすごーいっ」って喜んでくれて、こっちも良い気になっちゃっうよね」
まるで可愛い後輩から慕われ浮かれ立っている中年オヤジのように、顔をニヤつかせながら浅野は語る。譲が元から人懐っこいのは承知だが、彼が予想以上に浅野に心を開いている事がわかり麗の胸が益々ざわつく。
ノロケてんなよ、クソが)
麗は自分の中で焦りという感情が、攻撃という形へと変化していくのを感じていた。
浅野は麗や薫が住む世界とは違う、所謂カタギの男だ。気は強くないだろうが、少し関わっただけでもその根から真面目な性質がよく伝わってくる。
会社からプレッシャーをかけられていても、社会的な評価は高いはずだ。自分の住む世界との比較は出来ないが、一般社会ではそこそこの高級取りでもあるだろう。そしてその気取らなさは側に居るものを安心させる。
一方の譲もどちらかといえばかなり穏やかな性格をしている。いざという時には驚くほどの勇敢さを見せるが、普段は威圧されればすぐに畏まってしまうような人間だ。
争いよりも平和を好み、危険よりも安定を求める。
譲がいつ帰ってくるかもしれないヤクザ者より、浅野のような男との平穏な時間を求めないとも限らない。どちらが譲の幸せの為かと聞けば、10人中10人が浅野を勧めてもおかしくはない。
(そんな事は・・・俺がさせない)
「でもあんまり連れ回すと、婚約者が疑うかもしれません」
麗は手を打つべく、早急に仕掛け始めた。
「ああ、そうそう、まだ若いのに婚約者居るんだってね。やっぱ良い花は早く売れるよな〜。羨ましいよ」
しかし既に相手の存在を承知だったのか、浅野はさらりと返事をした。麗の思惑は外れ、浅野にかすり傷一つ与える事も出来ない。
「・・・・・・」
(何が花だ、クソが)
通常女性に例える『花』という表現を譲に用いた事が麗を更に腹立たせた。浅野が譲をどのように見ているのかよく分かったからだ。
「詳しくは教えてくれないんだけど、きっと同じような・・こうアイドルみたいな?小柄で可愛い感じの女の子なんだろうな」
真逆もいいところである。顔こそ女の様に美しいが、筋肉で盛り上がって相当な体格をしている。そしてとにかくデカい。それが譲の婚約者だ。
「でも、最近中々会えてないって言ってたよ。いくら婚約してても会わなかったらすぐ心変わりするもんだよ、ねえ?」
まるで譲を放っておく相手を愚か者だと嘲り、いつでも鞍替えの機会はあるものだと言いたげの浅野の言葉に、麗の中で何かが音を立ててキレた。
「・・・あ、そこに止めてもらって良いかな」
自分の犯した過ちに気づかず、何食わぬ様子で続け、目的地を指定する浅野。
「ーーー・・・ああ。相手、今服役中なんで」
そんな彼に低く、しかしはっきりと相手に聞こえる調子で麗は答えた。
「へえ・・服役・・・・・・はあ!?」
キィッとタイヤの音を立てて車は指定された場所へとやや乱暴に停車した。
「えっ・・・どういう・・・」
車の揺れが落ち着き、暫くの沈黙の後、戸惑いながらも浅野が口を開いた。
「言葉通りですよ。裏カジノの経営、いくつもの違法営業、ロケットランチャーを含む複数の無免許銃火器所持、売買ー・・・そして殺人。罪状は挙げればキリが無い」
「ロケット・・・は?」
浅野は次元のぶっ飛んだ話についていけず、ただ何が何だかわからないというような表情をした。
それに対し相変わらず淡々と感情の無い声で話す麗。
「現在36歳。ガタイの良い身長186cm。可愛いアイドルなんてとんでも無い。譲さんの婚約者は、男色のヤクザです。文字通り、今は刑務所の中に居ます」
「・・・・・・」
「俺が出鱈目を言っているか、御伽噺でも聞いてるようでしょう。でも事実です」
「・・・・・」
からかわれているようにしか思えないのか、浅野は無言で麗の顔を睨みつけた。
「ちなみになんちゃっ亭も彼の所有物です。店長の左手の指2本は機械で詰めたんじゃありません。ヤクザ時代にヘマやってその時の落とし前です」
その言葉に一瞬ハッとした表情をすると、浅野はごくりと固唾を飲み込んだ。酒で上気した顔がみるみる青ざめていく。
店長の左手の薬指と小指が無い事は常連客は誰もが知っている事だ。常識人なら敢えて突っ込む事はしないだろうが、酒に酔った勢いで聞いてきたり、どうしても気になる人間には「実家で農作業中に機械に巻き込まれた」というお淑やかな理由を店長が丁寧に説明してくれる。浅野もそのような認識でいた。
組のシノギの薬物をくすねて使い、バレたから、しかも2度も。あっはっは。なんて本当の事を言えばその場は凍りつき彼の気さくさも二度と通用しなくなるだろう。
「譲さんはあの人の経営している高級ホテルで囲われてた愛人の1人でした。しかしそこにカチコミをかけてきたヤクザとの抗争がきっかけで彼は豚箱に・・・。婚約はその直前でしたみたいです。俺は抗争の最中拳銃で撃たれてしばらく寝ていたので詳しく知りませんが・・・ああ、流石に暑いですね」
いつの間にかネクタイをとり去り、ワイシャツの第三ボタンまで外していた麗は、胸元がよく見えるように更に服を引っ張った。肩を覆う彩豊かな刺青と、鎖骨の下辺りにある大きく抉られた銃痕が露わになった。
「・・・!!」
決定的証拠だ。途端、浅野はどんなに暑くても、なんちゃっ亭の譲以外の従業員が皆、黒い長袖のインナーを着ている姿を思い出した。袖を捲らないのはきっと、服の下に隠された体に麗と同じようなー・・・。
「・・・そして俺はあの人の忠実な部下です。昔も、勿論今も。だから」
言いながら、麗は胸元を剥き出しにしたまま身を乗り出し後部座席を振り返った。
「悪い虫がつかねえように番をするのも仕事のうちっつー事だ」
若く真面目な経営者の化けの皮が剥がれ、麗の三白眼が本領を発揮した。人殺しも厭わないような冷酷なオーラを放つその姿は、まごうことなきソレだった。
「・・・俺・・・はっ・・・」
自分が凶悪な野獣の標的になっていると分かり、浅野は固まり怯み上がった。
「そろそろ出てくれます?ニンニク臭いです」
「っ」
浅野はワタワタとおぼつかない動作でドアに手をかけると、カバンを掴み慌てて車外へ飛び出た。
麗は運転席の窓ガラスを開けると、血相を変えて荒い息をつく浅野に続けた。
「俺なりの配慮ですよ。譲さんに気があるんでしょう?でも手を出したら終わりだ」
浅野は自分に向けられたその冷たすぎる視線にまたもや固まった。
「俺が言った事、ネットでもなんでも使って調べてみたらいいと思いますよ。それなりに情報出てくるんで自分で確かめてみてください。じゃ」
開けっ放しの後部座席のドアを腕を伸ばしてバタン、と締めると、窓ガラスの自動閉スイッチを入れ、麗は何事もなかったかのように車を発進させその場を後にした。
「ー・・・っ」
去りゆく車を、固まったまま見つめる浅野。
そんな彼の姿をミラー越しに確認すると、麗は口の端をあげて嗤った。
「ヘタレ野郎。てめえごときが手ェ出すなんて、1000年早いんだよ」

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「どうしたんですか。いつも馬鹿みたいに元気なのに」
浅野を車で送ってから3日後、麗は様子見と称し、仕事の合間を縫って開店前のなんちゃっ亭を訪れた。
無論用があるのは店では無く、譲の近況についてだ。
まるで何も知らないフリをして、表情を翳らせながら箸を拭く譲にそれとなく探りを入れる。
「それが・・・急に浅野さんと連絡取れなくなっちゃって。何かあったのかな・・・」
(バーカ)
してやったりと胸の中で小さくガッツポーズを取ると、麗は怯み上がった浅野の顔を思い出しながら彼を愚弄した。
「企画うまくいかなかったのかな・・・もしかしたら人知れず悩んで・・・ああっ・・・最悪な事態を思い浮かべてしまうっ会社に電話しちゃおっかな」
「迷惑ですよ。やめときなさい」
(くたばったらくたばったで、そんな奴ほっとけよ)
麗は気の弱い男をとにかく下に見るきらいがあった。今まで自分の生きてきた世界では、腹の据わらない人間は這い上がるどころか生き残る事すらできないからだ。
「彼女ができて野郎なんかと会ってる暇無くなったんでしょ。クリスマスの時期だから」
用が済んだので麗は早急にその場から立ち去るべく、適当に理由をつけて譲を宥めた。
「ああっ!そういえばクリスマスか・・・!!って・・それならそれで一報くれればいいのに・・・」
「婚約者と中々会えないって彼に愚痴ったんでしょう?それで気を遣ってるのかも」
「な、なるほどー・・・。って、そんなことまで聞き出したの!?」
「向こうが酔っ払ってペラペラ喋ったんですよ」
言いながら、麗はコートから手袋を出してはめなおした。
「ぶー。ああーなんか傷つくな〜」
譲は綺麗になった箸をケースに収めると、不満そうにテーブルに頬杖をついた。
「はーそれにもうクリスマスかーっ。あれえー時田さんと土屋さんって今彼女いるんでしたっけー??」
譲はすぐそばで店内を掃除する他の2人に声をかけた。彼らは譲の先輩に当たる従業員で年数も長く気のしれた仲間だ。無論、カタギ出身では無い。
「ほっほっほっほ今年は一人ぼっちじゃねえんだな〜」
「もうすでにラブホの予約できてる」
どうぞ聞いてくださいと言わんばかりに2人は声を弾ませて答えた。
「ちなみに今年は俺も1人じゃねえんだっ」
唐突に厨房裏に居た店長がヌッと顔を出し割って入る。
3人はハイタッチをしながら「「イェーーーいいクリスマス最高〜✨」」と沸きたった。
「ちぇーっ。去年はクリシミマスとか言ってたのに」
その様子に更に不満げに譲は頬を膨らませた。
「っつー事で麗さん、今年は18時に締めますからっ☆」
店長は麗の方を向くと、さらりと雇い主に告げた。
「勝手に決めんな!去年と同じ地獄ラーメン出して稼げよっ」
「あれは大ヒットだったな〜」
従業員達は去年の功績をしみじみと思い返した。
昨年のクリスマス、深夜まで営業しているなんちゃっ亭を常時賑わせていたのは『クリスマス特製お一人様用地獄ラーメン』というメニューだった。唐辛子が通常の4倍入った激辛味噌ラーメンであり、『肉を求めるあなたへ』と言うキャッチフレーズ通りチャーシューが2倍になって値段はそのまま。おまけに髑髏の形に型抜きされた大きめな海苔が載っているという内容だ。もちろん発案者は店長である。その辛さとインパクトから独り身の来訪者の寂しさを吹き飛ばし、SNSで写真がアップされトレンド入りして大きな話題になった。
「すんません、既にツイッターで当日は18時で締めると告知してるんです」
「何ぃ!?」
何食わぬ調子で答える店長に、麗は面を食らったように慌ててスマホを取り出し、事実を確認するべく急いで画面を指で叩いた。
「『彼女が出来たので今年は地獄ラーメンやりません♡』・・・ってそのまんまじゃねえかっふざけんな!!リプライ欄が裏切り者だの爆発しろだの罵詈雑言で埋まってやがるし・・・」
くそっ管理不足だった・・・!!と苦渋の表情を浮かべながら麗はスマホを持つ手をわなわなと振るわせた。
「でもこれはこれでまたトレンド入りしたんですよ。店長に彼女アリ・ナシかでメニューが変わるラーメン屋って(笑)」
時田は怒りに震える麗を宥めるように言った。
「だって彼女いるのにそんなメニュー出したらそれこそ裏切り者っぽいじゃ無いですかあ〜♡」
土屋もヘラヘラと笑みを浮かべながら続ける。
「「ねー♡」」
3人は先ほどのようにまた手を取り合って自分たちの幸せに良いしれた。
「どいつもこいつも浮かれやがって💢」
どうしようもねぇな、と毒づきながら、麗は意外にあっさと引き下がった。
仕事に私情を挟むなど普段の麗からすれば言語道断・・・しかし彼には店長に強く出れない理由があった。
4年前のあの日、建物が崩壊する最中、銃弾に倒れた自分を担ぎ上げ救い出してくれたのは紛れもなくこの男だからだ。
(こういう性格だから、店が繁盛するわけだし、ま、いっか)
麗は譲にしたように適当に理由をつけて自分自身を納得させた。
「クリスマスの夜は暇かあ〜。前に料理長のお家にお呼ばれしたけど、今年も押しかけちゃおっかなー。超豪華な七面鳥とか出て最高だった」
かつて消滅したホテルのレストランで料理長を努めていた彼も健在だ。今は愛妻と愛娘と共に暮らし、麗が管理する他の飲食店で働いている。当初薫が捕まった事に酷く心を痛め、譲を案じて世話を焼こうと何度もこのラーメン屋に顔を出していた。麗にとっても生き残った大事な仲間の1人である。
「いえ、ダメでしょう。娘さんに彼氏が出来たみたいできっと当日の池田家はお通夜状態でしょうから」
仕事の関係でちょくちょく彼と顔を合わせている為、麗は内情をよく知っていた。
「そ、そっか・・・」
それを聞くと、譲は自分の浅はかさに気付き、料理長ドンマイ・・・と遠くから小さく気遣った。
譲は聖夜に自分が1人で取り残される事を知りしょぼん・・・と肩を落とした。
「っ」
麗はその表情に強く揺さぶられる。譲の寂しげな様子は、彼にいつも多大な衝撃を与える。未だ慣れる事がない。
「・・・しょーがねえな。クリスマス限定のフルコースでもご馳走しますよ」
麗はいてもたってもいられなくなり、とにかく譲の気を紛らわす為に言った。
「麗さああ〜んっ」
それを聞き、譲の曇っていた表情がぱあっと輝いた。瞳を潤ませながら麗にひしっとしがみつく。
「あーっ浮気すんなよー」
「紫川さんに言いつけてやれ〜」
それを見て、完全に浮かれたっているなんちゃっ亭の従業員達がやいのやいのと2人を弄る。
「っ!うるせーよっ!」
しまった、早まったかと慌てながら麗は彼らを一蹴した。しかし腕にしがみつく譲のニコニコとした表情を見て、時すでに遅しと潔く諦めた。
(ーー・・・俺は特別なんだよ。あの人が戻ってくるまでは)
麗は彼にしては珍しく、またもや適当な理由をつけて自分自身に正当性を主張した。

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「早く着きすぎちまったか・・・」
既に時計は18時を回っているが、店を離れるまで片付けや精算などで最低でも1時間はかかる。なんちゃっ亭から譲が出てくる気配はまだ無い。
麗は自分の腕時計を見ながら、珍らしく時間を見誤ったな、と自分で自分に驚いていた。
駐車場に止めた車内で、麗は手持ちぶたさにしていた。袖のカフスを付け直したり、髪を手で整えたり・・・思い立ったようにスマホを手に取り、何気なくSNSのニューストピックを開いたり。大した事件も無いようで、ページ一面が本日のクリスマスの話題で溢れ返っている。『クリスマスデート成功のコツ』と書かれたコラムや、穴場を紹介する記事など様々だ。
もう沢山だと逃げるようにスマホの画面を消し、スマホをポケットへしまう。
「・・・・・・」
麗はコォ・・と響く暖房の音をしばらくつまらなそうに聞いていた。
しかしシートから上体を起こすと、エンジンを切って車外に出た。
(掃除でも手伝うか)
バタン、と扉を閉めるとなんちゃっ亭へと足を進める。
途中、過ぎゆく建物の窓ガラスに写った自分の姿が目に入った。
いつも仕事で忙しく、スーツ以外の服をほとんど着ない麗は、自分の私服姿を物珍しく感じた。それに、いわゆるこれから「デート」に行くような、とても洒落た格好をしている事も客観的に捉えた。
(俺も、浮かれてんのかなー・・・。)
麗はそんな自分を滑稽に思いながらも、事実浮き立つ鼓動を明確に感じていた。
店の裏に辿り着こうとしたその時ー・・・。
「悪い・・・実は、君の事色々調べて」
「え・・・」
「!」
耳に入ってきた聞き覚えのある声に、麗の体は俊敏にすぐそばの建物の影へと身を潜めた。
声のした方向を覗き込むと、深刻な面持ちをした浅野と、それに向き合う譲の姿があった。
(あいつ、性懲りも無く譲さんに会いにきて・・・)
もう2度と姿を表す事の無いよう、強烈なやり方で釘を刺したはずだった。だが浅野という男は思ったよりもしぶといらしい。麗は額に青筋を立てながら影からその場を凝視した。
「あの、抗争のあったホテルの事や・・・譲君の恋人の事も」
「!!」
浅野から告げられた言葉に、譲の顔は驚きの表情を浮かべると共に悲痛そうに歪んだ。
(わざわざ・・・!勝手にフェードアウトすれば良いものをっ)
麗は自分の配慮をふいにして譲を傷つける浅野の言動に更に腹を立てた。
「・・・・・・それで急に俺から離れたんですね」
全てを悟った譲は、トーンを落として静かに答えた。
「・・・すまない。連絡くらいすればよかったと思ってる」
「・・・・・・」
つい先日まで仲睦まじくしていた2人の間には今、非常に気まずく修復不可能な空気が漂っていた。実際、以前のような関係を取り戻すのはもう無理だろう。麗は事の成り行きを最後まで見届けようとそのまま息を潜めた。
「あの・・・気にしないで下さい。ていうか逆に怖がらせてごめんなさい!仕事、うまくいくように応援してますから。じゃ!」
しばらくの沈黙の後、譲は深刻な空気を切り替えるように明るい声音で浅野へ別れの言葉を告げた。笑顔を作っているが、表情には力が無く無理をしている様子が伺える。
振り切るように浅野に背を向け、店内へ逃げようとする譲。しかしそんな彼の腕を浅野が咄嗟に掴んで引き留めた。
「俺じゃ・・・ダメかな」
震えながら、しかし確実に浅野は譲にそう告げた。
「え・・・」
(はあ?)
その言葉に三白眼がカッと見開かれ、強烈な敵意を孕みギラリと鈍く光った。
「正直・・・君の彼氏の事も、周りの人の事もたまらなく怖い。本当にもう会うのをやめようと思ってラインも消したし・・・でも」
たどたどしく告げられる浅野の言葉を、譲は真剣な面持ちで待った。
「もう一度君の笑顔を見る為なら、死んでもいいって思ったんだ・・・!出会ったときから君のことが好きだった・・・!!」
浅野の絞り出すような告白を聞くと同時に、表情も変えないまま麗はおもむろにコートの内側に仕込まれたサバイバルナイフに手をかけた。慣れている為冷静に動作を運んでいるようだが、それは彼の攻撃のスイッチが入った証拠でもある。
しかし命の危険がすぐそばに迫っているとも知らず浅野は譲への想いを吐露し続けた。
「君が首を縦に振ってくれたら、俺は、どんなことでも出来る気がする」
「浅野・・さん・・・」
譲は圧倒され戸惑いの表情を浮かべつつ、しかしその顔は心なしか上気し、物欲しそうにも見えた。それが更に浅野の気を大きくさせた。
「俺は彼と違って絶対にそばを離れないし、寂しい思いをさせたりもしない。危ないこともしないし、ずっと一緒にいて大切にするからー・・・」
浅野が言い終わるや否や、ホルダーから躊躇なくナイフが抜かれ、野獣は獲物に目掛けて静かに、かつ素早く足を踏み進めた。
しかし弱々しく掠れながらも、芯の通った譲の声が、麗に理性を取り戻させた。
「俺は・・・寂しくなんかないし、離れてるとも思ってない」
「え・・・」
譲の体は小刻みに震えていた。それは決して寒さの為などではない。細く小さな体を、抱えきれない程の様々な感情が取り巻いているからだった。
「なんていうか・・・うまく言葉には出来ないんですけど」
その感情達を堪える様に、譲は俯き、慎重に選びながら必死に言葉を紡いでいた。
「体は離れていても、約束をしたあの時から、ずっとそばにいるような感じがしてるんです」
浅野はの中では、純真で若い譲が悪い男に騙され、脅され縛られているイメージが勝手に作りあげられていた。
「それとなんとなく・・・向こうも同じ気持ちなんじゃないかって事も、わかっちゃうんですよね」
しかし曇りの無い彼の瞳を見る限り、それは間違いであり、2人が強く想いあっている事を側からも容易に連想させた。
「だから・・・あの、俺なんか好きになってくれてありがとうございます。それと、色々ごめんなさい。本当に・・・」
譲は顔をゆっくりと上げると、浅野への最後の言葉を伝えた。
「俺には、薫しかいないんです・・・」
震える声音でそう伝える譲の瞳から、一筋の涙が伝った。
「・・・・・・」
麗はナイフをホルダーに収めると、空を仰いで時が経つのを待った。

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浅野が完全に姿を消したのを見計らい、彼が去った先を見つめたまま立ち尽くしている譲に、麗は静かに声をかけた。
「譲さん」
その声に反応して、譲がゆっくりと振り向く。
「・・・麗さん・・・。あ、やだな。もしかして見てた?あ、鼻水が」
振り向いた譲の顔は涙も鼻水も拭う事無く垂れ流し状態になっていて、目から下は水浸しのようになっていた。
正気を取り戻した様にいそいそと服の袖で顔を隠し始める譲。
しかし彼が袖を汚すより早く、麗はポケットからハンカチを取り出すとそれで譲の顔全体を優しく覆った。
「・・・そのだらしない顔をなんとかしてください。フルコース食べに行くんでしょう」
「・・・うん・・・ごめん・・・」
謝るその声は聞き取れないくらい震えていて、発するのがやっとというところだ。ハンカチを受け取って顔に押し付けると、途端、堰き止めていたものが崩壊するように譲は大きく泣き声をあげた。
「うわああああん」
麗はぽんぽん、と譲の頭に軽く触れながら宥めた。
そうすることしか出来ない自分に、またもや苛立ちながら。

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「すみません。彼には変な気を起こす前に消えろと予め警告したんですが」
「あ、やっぱり?なんかおかしいと思ってたんだ」
目的地へ向かって車を走らせる麗のすぐ隣で、既に譲は落ち着きを取り戻していた。感情を発散させてスッキリした表情をしている。
流石の彼も、自分が危ない男の恋人であり、危ない人間達に囲まれているという自覚はあるようだ。麗の物騒な発言にも譲は何食わぬ調子で返事をした。
「麗さんってやっぱ抜け目ないよねー。浅野さんが俺の事好きだったってすぐわかったんだ?」
「いや、モロバレ丸わかりですよ」
「そっかな〜。俺はすっごいショックだったけど」
親しい友人の1人を失った傷はそこそこ深いらしい。譲の表情がまた微かに陰った。
(そんなんだから俺の仕事が減らねえんだっつーの)
ちなみに譲に寄ってきた人間を追い払うのはこれが初めてでは無い。この4年の間に既に5〜6回はあった。服役中の男の婚約者がいるとまで言わずとも、店長が指を詰めた経緯を話すだけで大抵はラーメン屋から姿を消す。とあるしつこい女の客が彼を気に入った際には、自分の方に気をそらせて相手をした事もあった。

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予想はしていたが、予約したレストランの席は男女のつがいで埋め尽くされていて、その中で男2人で料理を嗜む麗と譲はゲイカップルそのものであった。しかし皆それぞれ自分の相手に夢中になっていて、麗は普段よりも視線が気にならなかった。むしろ自分自身も、先ほどまで大泣きしていた譲の心中を案じて周りを見渡す余裕など無かった。
(やっぱり・・・相当寂しいはずだ)
今は目の前の豪華な料理に感嘆し、笑顔を弾ませているが、譲の泣き顔を思い返して、麗は胸の痛みを感じていた。
譲は滅多に弱音を吐くことは無いが、彼が育った環境のせいで、人一倍孤独に弱い事も麗は知っている。人前ではいつも明るく元気に振る舞っているが、その影では相手を想って先ほどの様に泣き腫らす日もあっただろう。
刑務所には面会の機会があり、譲と薫は全く会えていないわけではない、むしろその辺の社会人の恋人と同じくらいの頻度で顔は合わせている。
(それでも・・・不安だろうな)
薫の食らった懲役は、決して軽いものではない。金だけではどうにもならず、自分や仲間達と違い執行猶予もつかなかった。その年数を数えれば、途端めまいがしてくる。
(冷静じゃない。俺も・・・2人も)
だが薫と譲は、何故かもうすぐにでも出られると信じて疑わないようだ。それに期待からか、2人の思いの強さからか、麗も奇跡が起こるかもしれないと頭のどこかで思う自分がいることを知っていた。
(だったらその奇跡でもなんでも・・・今すぐ起こしてくれよ)
自他ともに厳しく努力家である麗は、運任せや奇跡というものをひどく毛嫌いしていた。
しかしこればかりはー・・・。
会計時、釣り銭を待つ最中、レジに飾られたミニチュアの馬小屋の中に居るキリストを、麗はじっと睨みつけた。

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「わーっなんか前にテレビで見た時より綺麗になった気がする」
「LEDを10万個足した様です。派手ですね」
このまま家に帰るのもどうかと、麗は近くの有名なイルミネーションスポットに車を停めた。
麗は手の込んだ人工物を見ると、押し付けがましくて素直に喜べない質である。が、わざわざ訪れたのは、譲がこういう代物を素直に喜ぶ事を知っていたからだ。それなりにいい気分転換になるだろう。
(俺じゃなくて、紫川さんと見たいだろうな)
そんな風に思いを巡らせながら、麗は先ほどの浅野に対する自分の激情を振り返った。
(あの時、本気でめった刺しにしてやろうかと思ってナイフに手をかけた。あいつが絶対に許せない事を口にしたから・・・)
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『俺は彼と違って絶対にそばを離れないし、寂しい思いをさせたりもしない。危ないこともしないし、ずっと一緒にいて大切にするからー・・・』

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譲を口説いた際の歯の浮くようなセリフ。先ほどから何度も頭の中で反芻されて、まるで呪いの様だと麗は思った。
(あの人がどんなに伝えたくても伝えられない事、そして譲さんがどんなに言って欲しくても言ってもらえない事・・・。それを何も知らない腑抜け野郎が抜け抜けと・・・)
コートのポケットに入れられた麗の手にぐぐっと力が入る。
(ーーーいや・・・あの時の怒りは、そのせいだけじゃない)
冷たい夜風が、慰めるように麗の体を優しく撫でた。
(それは・・・俺がどんなに言いたくても、言えない事でもあるからだ)
「麗さん!ほら、綺麗だよ!」
麗に必死に声をかけ、子供の様な純真さではしゃぐ譲の姿は、眩いイルミネーションの中よく映えた。麗は目を細めながら彼を見つめ、熱く込み上げる想いに浸った。
(譲さん。やっぱり俺も、まだ・・・・・・アンタが好きだ)
言葉に出来ない代わり、麗は素直に胸の内で呟いた。
「あ〜。こんな時可愛い彼女がいればなあー。なあーんで成人男性のお守りなんか」
しかし途端ふっと鼻で笑い譲の横に並ぶと、いつものように憎まれ口を叩いて見せた。
「だよねー。麗さん絶対モテるのに、なんでまだ彼女いないのかなー」
「余計なお世話です」
(好きだ。好きだ。アンタが好きだ)
たわい無い会話が続く中、麗は胸の中で何度も繰り返し呟いた。
(出来る事なら、何度だって伝えたい。こんなに側にいるのに)
かつて自分も浅野のように、壊れた吊り橋を渡るような危険の中、彼への想いを精一杯ぶつけた事があった。そして同じ理由で断られ玉砕した。あれから2人は仲のいい友人になりー・・・と思っているのは譲だけである。
(全く・・・人の気も知らねえで)
麗の中では、まだその想いは蝋燭のように静かに灯り続けていた。しかも困るのは、薫の不在が長ければ長くなるほど、その炎は段々と大きさを増していっているという事だった。
(ー・・・紫川さん。あなたは本当に戻ってくるんでしょうか)
麗を正気に保っているのは、薫への強い忠誠心だった。ただのゴロツキだった自分を拾い育て上げてくれた彼の存在は、今も絶対的だ。
(そーいや、当初紫川さんがゲイだと知った時の衝撃を未だ忘れられねーな)
筋肉質で背が高く、そしてとてつもなく強い。頭も良い。冷淡な性格をしているかと思えば、非常に義理堅く仲間思い。おまけに道を歩いていてもまず見かけない程端正な顔をしている。そんな薫は正に男としての憧れそのものだった。これで可愛い男、じゃなくて可愛い女が好みだったら完璧なのに。などと事あるごとに麗は思いに耽っていたものである。
(まさか自分もその『可愛い男』・・・しかも同じ相手を好きになるなんて。どうかしてるぜ、全く)
それが事実だとは自分でも信じ難いという気持ちで、麗はすぐ横ではしゃぐ譲を見つめた。
麗の脳裏にまた、譲を口説く浅野の姿が浮かんだ。
(俺だって・・・本当はあんな風に・・・)
怒りよりも、悔しさが麗を苛む。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『俺じゃダメですか・・・?』

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手を取り、真っ直ぐ瞳を見つめて、そんな風に気持ちをぶつけたい。
しかしそれを打ち消すように、譲の泣き顔が現れた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『俺には、薫しかいないんです・・・』

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それが全ての落ちなのだ。2度も経験する必要は無い。
「ふー」
(これじゃあいつと変わんねーよ。ほんと、どうかしてるぜ)
短い間だがつまらぬ妄想に耽っていた自分を一蹴すと、窘めるように溜息をついた。
「ふふっ」
麗は隣で急にくすくすと笑い出した譲を怪訝そうに見返した。
「なんですか。気味悪い」
「いや・・・。麗さん、もし俺が浅野さんと逃げたら薫にどう報告するんだろうなーと思って。慌てるんだろうなー」
さして深く考えず、ただ面白そうに譲は言う。他意は無いだろう。
「いや、その心配はありません。まずあの男はその場で俺が殺します」
「・・・・・・」
キッパリと殺人を仄めかす麗に、譲の顔が流石に歪んだ。
「その次にあなたも即殺しますから」
「じょ、冗談きついなーこんな聖夜に。麗さんったら」
譲は圧倒されしどろもどろになりながら答えた。事実、気迫迫った麗はかなり怖かった。
「いや、冗談言ってる顔ですか。絶対許しませんよ」←本気でやろうとしていた男
「・・・・・いえ」
小さくなりながら、譲は怯えた声で返事をした。
譲の脳裏には、かつて麗が躊躇なく人を拳銃で撃ち殺した光景が蘇っていた。
例え相手が薬物をばら蒔き、自分の領域を侵す同業者であっても、誰でも簡単に出来る事では無い。
生ける存在に死をもたらしてもなお歪む事の無い麗の冷酷さは、彼が酷い環境で生まれ育ち、幾つもの修羅場を潜り抜けてきた事を物語っている。
「そしてその後俺も首吊って終わりです」
続けて、麗はとても穏やかな口調でそう告げた。凶悪な野獣は野獣なりに、自分の死に対する確かな覚悟を持ち合わせているものだ。
物騒すぎる発言が続いたが、それを聞いて譲は静かに微笑んだ。
「責任重大だねえ」
「おうとも。気をつけて下さいよ」
「うん」
しっかりとした迷いの無い譲の返事を聞き、麗はやっと幾分か安心する事が出来た。
(いや・・アンタはすぐには殺さねえ。あんな男に靡くくらいなら、最初から俺を選べば良かったと死ぬ程後悔させてやる。絶対言えねえようやり方でもうぐっちゃぐっちゃに犯してあんな事やこんな事や・・・)
「でも・・・」
麗の頭で雑念が飛び交う中、聞こえるか否かの小さくか細い声を譲が発した。
「本当はめちゃくちゃ、寂しいんだ・・よ・・ね・・・」
掠れた声で言いながら、寂しそうに大きな瞳を震わせ、譲はいつもするように薬指にはめられたリングをぎゅっと上から握った。
今にも泣きそうで、何かに堪えるような切ない表情を見て、「手の施しようが無い」、そう胸の中で毒付き、麗は彼に向かって腕を伸ばした。
譲の背中を抱き、ぐっと自分の方へ引き寄せると、ぶつけるように彼の唇に自分のそれを合わせた。
目の端でイルミネーションがキラキラと輝いている。それらがやがて取り外されるように、永遠など無い。例えどんなに強く望んだとしても。
何が起こったのかもわからず、譲はされるがままになり、そのまま硬直した。
ゆっくりと唇は離され、麗はすかさず彼への苦情を申し立てた。
「今、気をつけて下さいと言ったばかりですよね?」
譲の顔のすぐ目の前で、麗の表情はいつもと変わらぬ冷淡さのままだった。
しかし瞳には強い雄の色が滲み出ていて、今にも獲物に食らいつく直前といった様子だ。
数秒遅れて、カァアアアと譲の顔が真っ赤に染まる。
「れ、れれっ麗さんっ」
ハッとしたように口元を手で抑え、茹で蛸のようになっている。
「2人で首吊らない様に気をつけねえとなー」
さらりと言い放つと、背を向け、麗は呆然とする譲を置いて早足に前を進んでいった。
「#$%&*〜!!」
譲は声にならない叫びを上げながら、遠ざかる麗の背中に向かってバタバタと腕を振った。
「やめてよもうっっ!!」
しばらくしてようやく言葉を取り戻したのか、譲は走って麗を追いかけるとすかさず噛み付いた。
しかしその表情は、怒りよりも恥ずかしさや戸惑いで満ちていて、潤んだ瞳も何かを強請るような色を見せている。それを目にして麗は更に呆れ返った。
「アンタこそその欲求不満の顔やめろよ。マジで犯すぞ」
横目で譲を見ながら、眉を上げ挑発するように吐き捨てると、麗は再度譲を置いて足早に前へ突き進んだ。
「してないよっ麗さんのバカーっ」
その言葉に更に顔を赤くさせると、前方の麗を追いかけながら譲は彼の背中をぽこぽこと叩いた。
(紫川さん、早く戻ってきて下さい。5年目はわかりませんよ)

背中に振動を感じながら、麗は夜空を仰ぎ、静かに星に願いをかけた。